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日本における中国茶用語の読み方(2)

どうでもいいけどひっかかる

日本における中国茶用語の読み方(2)

 第2回目は「聞香」を取り上げます。

 中国茶の茶器に「聞香杯」というものがあります。台湾で開発され、のち大陸にも伝わった茶器で、「香りを聞くための杯」です。多く縦に細長い形をしています。理想的には縁がすぼまり、底がひろがったワイングラス状がよいでしょう。器内で香りの分子を攪拌させ、香りを聞きやすくするのですから、香りの分子が逃げにくいほうがよいわけです。

 この聞香杯は、単独でサーブされることはなく、「お茶を飲むための杯」である「品茗杯」と同時にサーブされます。その際、お茶が注がれているのは聞香杯のほうで、品茗杯は空です。サーブされたら、まず、聞香杯のお茶を品茗杯に移し、聞香杯を空にしてから、その器内に残った香りを聞きます。お茶が入っている状態より空にしたあとの状態のほうが、香りは約4倍強く感じられるといわれます。その理由は、香りの分子が水中に溶け込んでいるときより、水分がなくなったあとに残された香りの分子が器の内壁にへばりついているときのほうが、聞き取れる香りの分子の数が多いためです。

 香りを「聞く」と書きましたが、香りは「嗅ぐ」ものではないかと思われるかもしれません。ところが、「嗅ぐ」というと、なんとなく「臭(くさ)い」イメージが、「聞く」というと、なんとも「馨しい」イメージが、それぞれ感じられると思うのですが。

 ちなみに、「匂う」を例えば「この花、匂ってみて」というように、他動詞(「嗅いでみて」の意)として使っているのを耳にすることがあります。しかし、「匂う」は自動詞であり、「嗅ぐ」のような他動詞ではありません。確かに、「嗅ぐ」に比べたら、「匂う」は「聞く」と同じく「馨しい」イメージを抱かせるとはいえ(さらに「にほふ」と歴史的仮名遣いにすると、なぜか不思議なことに、いっそう「馨しい」イメージが増幅される気がします)。

 『においとひびき 日本と中国の美意識をたずねて』(朱捷/白水社)という本があります。「におい」は「匂」、「ひびき」は「韻」です。同書によると、「物事の余韻や余情を、中国人はぼんやりと拡散してゆく「ひびき」として、すなわち聴覚で、日本人は漂う「におい」として、すなわち嗅覚でもってとらえる」のであり、「「匂」という和製漢字は、日本語の「ニホフ」には嗅覚をあらわす漢語の文字ではカバーできない意味領域があること、および、そのカバーできない領域は漢語の聴覚を示す文字を借りればカバーできることを、示唆しているのである。」とのことです。なお、「匂」は、いずれも古漢語で「音の調和」の意を持つ「韻=韵=均=勻」から変化した形、とあります。

 『音律と音階の科学 ドレミ…はどのようにして生まれたか』(小方厚/講談社ブルーバックス)にも、こんな内容の記述がありました——いわゆる「ドレミ」は、古代ギリシャ時代にピタゴラス(紀元前6世紀)から始まり、同じ頃、孔子の時代に相当する中国でも「三分損益法」という方法によって発見された——。補足ながら、ピタゴラスとはあの「三平方の定理」を発見したピタゴラスであり、音律の研究は音楽としてではなく、周波数を計算する数学や物理学の研究として行なったそうです。

 中国でいかに「音」あるいは「韻」への関心が高かったかわかります。

 そういえば、中国語にはそもそも「声調」(声の高さ)というものがありました。その違いによって同じ音でも、意味が異なる語になるわけです。例えば中国語の早口言葉のひとつに「媽媽罵馬」という一節があります。標準中国語の音はすべて「ma」ですが、「媽」は〈第1声〉といって高く平らに伸ばし、「罵」は〈第4声〉といって高いところから急降下させ、「馬」は〈第3声〉といって低く抑えつけ、それぞれ発します(ちなみに、〈第2声〉は低いところから急上昇させます)。さらにいえば、標準中国語では「四声」という4種類の高低で済んでしまうところを、上海語では5種類、閩南(台湾や福建南部)語では8種類、広東語では9種類(6種類とか7種類とか諸説あり)あるわけですから、確かに音痴だとその高低を判別しにくいかもしれません。

 さて、今回も寄り道をしすぎてしまいました。そろそろ本題に入りましょう。

 「聞香」は圧倒的に「もんこう」と読まれるようです。しかし、「ぶんこう」と読むほうが相応しいのではないでしょうか。

 「もん」も「こう」も呉音です。「ぶん」は漢音です。ちなみに、「香」の漢音は「きょう」で、漢音で読むのは「香車(きょうしゃ)」(将棋の駒のひとつ)、「茴香(ういきょう)」くらいしかみつかりません。

 「もんこう」説を採る根拠に挙げられるのは、「ぶ」は濁音のため、荒く強く感じられ、美しく聞こえない、という点です。なるほど、国語辞典で濁音の見出し語を片っ端から眺めていくと、そういう語がたくさんあります。一方、そうでもないもの、逆に美しいイメージ(あくまでも私の個人的な感覚によります)を喚起させる語さえ、けっこうあります。そんな語を、「ば行」に限定した漢字の熟語の中から、いくつか拾い上げてみました。

 「ば」:芭蕉(ばしょう)、薔薇(ばら)、晩秋(ばんしゅう)、晩鐘(ばんしょう)

 「び」:微笑(びしょう)、眉目(びもく)、白夜(びゃくや)、屏風(びょうぶ)

   ※美少女(びしょうじょ)など、「美」の字を含む語は除きました。

 「ぶ」:舞曲(ぶきょく)、葡萄(ぶどう)、舞踊(ぶよう)、文学(ぶんがく)

 「べ」:別嬪(べっぴん)

   ※「べ」の部は少ないようです。

 「ぼ」:望郷(ぼうきょう)、母子(ぼし)、慕情(ぼじょう)、牡丹(ぼたん)

 「もんこう」説のもうひとつの根拠は、香道で使われる、という点です。仏教伝来(6世紀)とともにもたらされた香木が、仏教の隆盛とともにその儀式に欠かせない品となり、平安時代(794〜1185)以降、部屋、衣服、頭髪にたきこめる空薫物(そらたきもの)など、仏事以外の用途にも使われるようになります。複数の薫物を調合して匂いの優劣を競う薫物合(たきものあわせ)という遊戯も生まれました。室町時代(1336〜1573)になると、香道として形が整い始めます。

 前回も書きました通り、呉音は仏教関連用語に多く使われますから、「もんこう」と読むのは当然です。ただ、香道で使われる「聞香」は「香(こう)を聞くこと」「聞き香(ききこう)」という名詞です。つまり、「もんこう」=「聞き香」ということです。

 ひるがえって、中国茶でいう「聞香」の「香」は、沈香や麝香の「こう」ではなく、お茶の「かおり」であり、「聞香」は「香りを聞く」という動詞です。したがって、「聞香杯」は冒頭で書いたように「香りを聞くための杯」ですし、また、仏教関連用語でもありませんから「ぶんこう」なのです。

 ちなみに、漢和辞典には、「ぶんこう」しか見出し語に挙げていないものか、「ぶんこう」しか見出し語に挙げていないものの「もんこう」ともいうと記しているものが、ほとんどです。唯一『学研漢和大辞典』のみ、見出し語は「ぶんこう」しか挙げていないものの「もんこう」ともいうと記したうえで、「ぶんこう」と「もんこう」の読み方と意味を区別して説明しています。

 以上の理由により、「聞香」は「ぶんこう」と読むことにします。

参考辞典(出版年順)

 国語辞典

  1.新潮国語辞典 現代語・古語(1995年)

  2.岩波逆引き広辞苑(1999年)

 漢和辞典

  1.角川漢和中辞典(1979年)

  2.三省堂新明解漢和辞典(1982年)

  3.学研漢和大辞典(1992年)

  4.小学館現代漢語例解辞典(1993年)

  5.岩波新漢語辞典(1994年)

  6.三省堂五十音引き漢和辞典(2004年)

  7.三省堂全訳漢辞海(2006年)

中國茶倶樂部「龜僊人窟」主人 池谷直人