Archive for 3月, 2008

日本における中国茶用語の読み方(3)

土曜日, 3月 22nd, 2008

どうでもいいけどひっかかる

日本における中国茶用語の読み方(3)

 今回は前回の補足です。

 実はあとになって気づいたことがあったので、急遽、書き足すことにしました。もっとも、内容は寄り道したほうの話で、本題とはまったく無関係です。

 「匂」(におい)と「韻」(ひびき)の関係から、「嗅ぐ」のではなく、「聞く」のであるということ。これに関連する『匂いの帝王 天才科学者ルカ・トゥリンが挑む嗅覚の謎』(チャンドラー・バール=著 金子浩=訳/早川書房)という本があります。ルカ・トゥリンという科学者が、「匂」は形状か振動かという議論について、後者の立場で述べています。

 「トゥリンは匂いという暗号を解読するための最初の鍵を手に入れたのだった。それは数字だった。波長だった。電子振動だった。2500という波数だった。その数字がふたつの同値の記号(S-HとボランのB-H)、ふたつのまったく異なる分子を、腐った卵の匂いというひとつの意味に繋いでいた。しかもふたつの分子は形がまったく異なっていた。トゥリンの見るかぎり、解釈はひとつしかありえなかった。どちらも振動数が2500なのだ。その振動が匂いを持っているのだ。」

 「韻」とは、まさに振動です。そして、同書では「匂」も振動だといっているのです。

 「こうした電子結合の特徴は弾力性だ。それぞれの原子を引き離してからぱっと離すとする。バネの強さと、そのバネにどれだけの原子が繋がっているかによって、原子の組み合わせはそれぞれに異なる音を鳴らす。まるでピアノの弦が弾かれて震え、変ロ音やト音を鳴らすように。ある結合はものうげに振動してゆっくりと深いバスで、ある結合はやや早いテノールで鳴る。明るいアルトやもっとも高いソプラノで鳴る結合もある。またピアノの弦と同じで、(ニ音の弦はニ音しか発しないように)原子と結合の組み合わせはどれも特定のひとつの振動数に調律され、その音でしか鳴らない。その音——その振動——を科学者は“波数”と呼ぶ。」

 さらに、すばり音楽そのものによって説明しています。

 ——と、このように延々と説明してきたものの、「匂」は形状か振動かの結論は、同書が発行された翌年の2004年、前者に軍配が上がっています。つまり、コロンビア大学のリチャード・アクセル博士とフレッド・ハッチントン癌研究所のリンダ・バック博士が、「匂い受容体遺伝子の発見と嗅覚メカニズムの解明」によってノーベル医学生理学賞を受賞したからです。その研究は形状説であることから、振動説は否定されたというわけです。

 ただ、だからといって「匂」と「韻」の関係、「嗅ぐ」のではなく、「聞く」のであるということまで否定されたわけではありません。アクセルとバックの研究はたんに、やはり「匂」は耳ではなく鼻で感じるもの、と改めていっているにすぎません(念の為。貶めているわけではありません。研究が偉大であることは言わずもがなです。ちなみに、トゥリンの振動説も当然ながら耳で感じるという意味ではありません)。微妙な感覚を表現する方法としては、「匂」を「聞く」は依然有効です。

 また、同書も価値がなくなってしまったわけではありません。さまざまな「匂」の表現が溢れ出るところはトゥリンも本当に「天才」だからでしょうし、香水業界の内幕など、興味を惹く話が豊富なのも事実です。

 最後に同書の「BOOK」データベースを引用しておきます。

 「最先端の科学をもってしても、いまだ解明されない匂いのメカニズム。この超難解な謎にとりくんだ一人の天才科学者がいた。彼の名はルカ・トゥリン——。グレープフルーツと熱い馬、汗まみれのマンゴー、真っ黒なゴムの花、スクランブルエッグにガソリン——若くして香水に魅せられたトゥリンは、どんなに複雑な香りでも即座に特徴をとらえ言葉に置きかえる。香水業界の化学者からも一目置かれるその特異な才能のおかげで、秘密主義の香水企業の研究室にも自由に出入りしはじめたトゥリンは、クリスチャン・ディオール、カルヴァン・クライン、ジヴァンシーなどの、大企業の内幕を覗きみるようになる。やがて、並外れた知性と能力をもとに、嗅覚のしくみを解く新理論を編み出すが……いま、世界じゅうに注目されている天才科学者の半生を追った衝撃のノンフィクション。」

中國茶倶樂部「龜僊人窟」主人 池谷直人

08年3月のお茶会

土曜日, 3月 15th, 2008

2008年3月お茶会1

中國茶倶樂部では下記の要領で月例お茶会を開催いたします。久々に普洱です。同茶は過去に3回しか淹れたことがありません。年代ものはめったに買えませんので。ごく限られた小さな市場で異常な高騰を続ける昨今ではなおさらです。今回は何年も前に一度お淹れしたことがある、いわゆる「紅印」と呼ばれる代物です。当時50年ものといって淹れましたから、そろそろ60年ものといってよいでしょう。この間にどのように熟成しているのか楽しみです。ご一緒に確かめてみましょう。

時間:2008年3月28日(金)
朝の部 10:00 11:00 12:00
昼の部 14:00 15:00 16:00
夜の部 18:00 19:00
※1回の定員は先着順に10名です。当日10:00より直接お茶室にてご予約を受け付けます。お友達の分もまとめて手続きされても結構です。19:00の回はご予約不要です。なお、10名以上になりますと、美味しくお茶が淹れられません。お時間に制約のございます方は、余裕を持ってお越しください。
※参考データ
前月(2月):10:00=10人 11:00=02人 12:00=03人 14:00=10人
15:00=05人 16:00=03人 18:00=03人 19:00=06人
昨年3月:10:00=11人 11:00=08人 12:00=01人 14:00=05人
15:00=04人 16:00=03人 18:00=05人 19:00=04人

会場:香港銅鑼灣告士打道275號 海都大廈7B
7B. Hoi To Court, 275 Gloucester Road, HK
Tel&Fax:2577-8688 E-mail:kame@hkg.jp
※ビルの入り口は景隆街(Cannon Street)です。

料金:中國茶倶樂部会員 無料
非会員 HK$150-

中國茶倶樂部「龜僊人窟」主人 池谷直人

日本における中国茶用語の読み方(2)

土曜日, 3月 15th, 2008

どうでもいいけどひっかかる

日本における中国茶用語の読み方(2)

 第2回目は「聞香」を取り上げます。

 中国茶の茶器に「聞香杯」というものがあります。台湾で開発され、のち大陸にも伝わった茶器で、「香りを聞くための杯」です。多く縦に細長い形をしています。理想的には縁がすぼまり、底がひろがったワイングラス状がよいでしょう。器内で香りの分子を攪拌させ、香りを聞きやすくするのですから、香りの分子が逃げにくいほうがよいわけです。

 この聞香杯は、単独でサーブされることはなく、「お茶を飲むための杯」である「品茗杯」と同時にサーブされます。その際、お茶が注がれているのは聞香杯のほうで、品茗杯は空です。サーブされたら、まず、聞香杯のお茶を品茗杯に移し、聞香杯を空にしてから、その器内に残った香りを聞きます。お茶が入っている状態より空にしたあとの状態のほうが、香りは約4倍強く感じられるといわれます。その理由は、香りの分子が水中に溶け込んでいるときより、水分がなくなったあとに残された香りの分子が器の内壁にへばりついているときのほうが、聞き取れる香りの分子の数が多いためです。

 香りを「聞く」と書きましたが、香りは「嗅ぐ」ものではないかと思われるかもしれません。ところが、「嗅ぐ」というと、なんとなく「臭(くさ)い」イメージが、「聞く」というと、なんとも「馨しい」イメージが、それぞれ感じられると思うのですが。

 ちなみに、「匂う」を例えば「この花、匂ってみて」というように、他動詞(「嗅いでみて」の意)として使っているのを耳にすることがあります。しかし、「匂う」は自動詞であり、「嗅ぐ」のような他動詞ではありません。確かに、「嗅ぐ」に比べたら、「匂う」は「聞く」と同じく「馨しい」イメージを抱かせるとはいえ(さらに「にほふ」と歴史的仮名遣いにすると、なぜか不思議なことに、いっそう「馨しい」イメージが増幅される気がします)。

 『においとひびき 日本と中国の美意識をたずねて』(朱捷/白水社)という本があります。「におい」は「匂」、「ひびき」は「韻」です。同書によると、「物事の余韻や余情を、中国人はぼんやりと拡散してゆく「ひびき」として、すなわち聴覚で、日本人は漂う「におい」として、すなわち嗅覚でもってとらえる」のであり、「「匂」という和製漢字は、日本語の「ニホフ」には嗅覚をあらわす漢語の文字ではカバーできない意味領域があること、および、そのカバーできない領域は漢語の聴覚を示す文字を借りればカバーできることを、示唆しているのである。」とのことです。なお、「匂」は、いずれも古漢語で「音の調和」の意を持つ「韻=韵=均=勻」から変化した形、とあります。

 『音律と音階の科学 ドレミ…はどのようにして生まれたか』(小方厚/講談社ブルーバックス)にも、こんな内容の記述がありました——いわゆる「ドレミ」は、古代ギリシャ時代にピタゴラス(紀元前6世紀)から始まり、同じ頃、孔子の時代に相当する中国でも「三分損益法」という方法によって発見された——。補足ながら、ピタゴラスとはあの「三平方の定理」を発見したピタゴラスであり、音律の研究は音楽としてではなく、周波数を計算する数学や物理学の研究として行なったそうです。

 中国でいかに「音」あるいは「韻」への関心が高かったかわかります。

 そういえば、中国語にはそもそも「声調」(声の高さ)というものがありました。その違いによって同じ音でも、意味が異なる語になるわけです。例えば中国語の早口言葉のひとつに「媽媽罵馬」という一節があります。標準中国語の音はすべて「ma」ですが、「媽」は〈第1声〉といって高く平らに伸ばし、「罵」は〈第4声〉といって高いところから急降下させ、「馬」は〈第3声〉といって低く抑えつけ、それぞれ発します(ちなみに、〈第2声〉は低いところから急上昇させます)。さらにいえば、標準中国語では「四声」という4種類の高低で済んでしまうところを、上海語では5種類、閩南(台湾や福建南部)語では8種類、広東語では9種類(6種類とか7種類とか諸説あり)あるわけですから、確かに音痴だとその高低を判別しにくいかもしれません。

 さて、今回も寄り道をしすぎてしまいました。そろそろ本題に入りましょう。

 「聞香」は圧倒的に「もんこう」と読まれるようです。しかし、「ぶんこう」と読むほうが相応しいのではないでしょうか。

 「もん」も「こう」も呉音です。「ぶん」は漢音です。ちなみに、「香」の漢音は「きょう」で、漢音で読むのは「香車(きょうしゃ)」(将棋の駒のひとつ)、「茴香(ういきょう)」くらいしかみつかりません。

 「もんこう」説を採る根拠に挙げられるのは、「ぶ」は濁音のため、荒く強く感じられ、美しく聞こえない、という点です。なるほど、国語辞典で濁音の見出し語を片っ端から眺めていくと、そういう語がたくさんあります。一方、そうでもないもの、逆に美しいイメージ(あくまでも私の個人的な感覚によります)を喚起させる語さえ、けっこうあります。そんな語を、「ば行」に限定した漢字の熟語の中から、いくつか拾い上げてみました。

 「ば」:芭蕉(ばしょう)、薔薇(ばら)、晩秋(ばんしゅう)、晩鐘(ばんしょう)

 「び」:微笑(びしょう)、眉目(びもく)、白夜(びゃくや)、屏風(びょうぶ)

   ※美少女(びしょうじょ)など、「美」の字を含む語は除きました。

 「ぶ」:舞曲(ぶきょく)、葡萄(ぶどう)、舞踊(ぶよう)、文学(ぶんがく)

 「べ」:別嬪(べっぴん)

   ※「べ」の部は少ないようです。

 「ぼ」:望郷(ぼうきょう)、母子(ぼし)、慕情(ぼじょう)、牡丹(ぼたん)

 「もんこう」説のもうひとつの根拠は、香道で使われる、という点です。仏教伝来(6世紀)とともにもたらされた香木が、仏教の隆盛とともにその儀式に欠かせない品となり、平安時代(794〜1185)以降、部屋、衣服、頭髪にたきこめる空薫物(そらたきもの)など、仏事以外の用途にも使われるようになります。複数の薫物を調合して匂いの優劣を競う薫物合(たきものあわせ)という遊戯も生まれました。室町時代(1336〜1573)になると、香道として形が整い始めます。

 前回も書きました通り、呉音は仏教関連用語に多く使われますから、「もんこう」と読むのは当然です。ただ、香道で使われる「聞香」は「香(こう)を聞くこと」「聞き香(ききこう)」という名詞です。つまり、「もんこう」=「聞き香」ということです。

 ひるがえって、中国茶でいう「聞香」の「香」は、沈香や麝香の「こう」ではなく、お茶の「かおり」であり、「聞香」は「香りを聞く」という動詞です。したがって、「聞香杯」は冒頭で書いたように「香りを聞くための杯」ですし、また、仏教関連用語でもありませんから「ぶんこう」なのです。

 ちなみに、漢和辞典には、「ぶんこう」しか見出し語に挙げていないものか、「ぶんこう」しか見出し語に挙げていないものの「もんこう」ともいうと記しているものが、ほとんどです。唯一『学研漢和大辞典』のみ、見出し語は「ぶんこう」しか挙げていないものの「もんこう」ともいうと記したうえで、「ぶんこう」と「もんこう」の読み方と意味を区別して説明しています。

 以上の理由により、「聞香」は「ぶんこう」と読むことにします。

参考辞典(出版年順)

 国語辞典

  1.新潮国語辞典 現代語・古語(1995年)

  2.岩波逆引き広辞苑(1999年)

 漢和辞典

  1.角川漢和中辞典(1979年)

  2.三省堂新明解漢和辞典(1982年)

  3.学研漢和大辞典(1992年)

  4.小学館現代漢語例解辞典(1993年)

  5.岩波新漢語辞典(1994年)

  6.三省堂五十音引き漢和辞典(2004年)

  7.三省堂全訳漢辞海(2006年)

中國茶倶樂部「龜僊人窟」主人 池谷直人

日本における中国茶用語の読み方(1)

土曜日, 3月 15th, 2008

どうでもいいけどひっかかる

日本における中国茶用語の読み方(1)

 まず、私事ながら、香港での生活も20年を越えました。したがって、確かに日本の事情には疎くなったことでしょう。ただ、“ものかき”という仕事柄(細々ですが)、また、香港人に日本語を教えるという立場上(プライベートレッスンですが)、さらに、かえって海外在住という身ゆえ、日本語へのこだわりは、おそらく日本に住む日本人より、強いかと思います。

 そこで、香港で出逢い、これまで続けてきた中国茶とのかかわりから、日本における中国茶用語の読み方について、「ひっかかる」点を挙げ、調べかつ考えてみました。「どうでもいい」とは、「全体からみればさほど重大な問題ではない」との意味です。とはいえ、すっきりしないのですっきりさせたい、というわけです。

 第1回目は「金萱」を取り上げます。

 このお茶は、台湾の行政院農業委員会茶葉改良場(日本の農林水産省茶業試験場に相当)による交雑育種の結果、「台農8号」を母、「硬枝紅心」を父として、1981年につくられた品種です。ミルキーな香りがすることで知られています。

 お茶なのにミルキーな香りがするのは、肥料に尿素(化粧品にも使われている成分です)を施すためです。その量によって激しく臭うものから優しく匂うものまであり、何種類か取り揃えている茶舗もあります。最近ではスプレーでフレーバードされたものもあり、注意が必要です。

 が、金萱のすべてが尿素を施されるわけではありません。2006年11月に訪れた、阿里山で金萱を栽培する許添達氏は、肥料として落花生の殻を使う、と話していました。いわゆる有機栽培です。それでも(あるいは、それゆえ)、金萱の品評会で多くの入賞経験を持つのです。

 金萱は本来、品種の名前です。金萱茶、金萱烏龍(産地の名前を冠した阿里山金萱、拉拉山金萱なども)という品種名をそのまま商品名にした烏龍茶もつくるし、包種茶(文山包種など)もつくります。後者の場合、商品名から品種名はわかりません。

 ちなみに、文山包種は主に青心烏龍(軟枝烏龍とも)という品種でつくられるほか、金萱でも翠玉(金萱と同様、茶葉改良場によって「硬枝紅心」を母、「台農80号」を父として1981年につくられた品種)でもつくられます。過去に何度か訪れている、文山包種の産地である台北県坪林郷で、品評会常連入賞者の梁祥島氏が栽培した、上記3種類の文山包種を喫み比べたことがあります。それぞれ味、香り、風味が異なり、翠玉でつくられたものには硬い甘さ、金萱でつくられたものには柔らかい甘さ、すなわち、ミルキーの香りの面影が感じられました。

 茶葉の説明が長引いてしまいました。ここからいよいよ本題です。

 さて、「金萱」は何と読むのでしょう? 通常は一般に「きんせん」と読まれています。しかし、漢和辞典を引いても「萱」に「せん」という読み方はありません。では、なぜ「きんせん」と読まれるのでしょう? くさかんむりのない「宣」を「せん」と読むので、そこから類推したものと思われます。せっかちな日本人がよく調べもせずにそう呼びはじめたのかもしれません。現代の標準中国語の音はどちらも「xuan〈第1声〉」で同じです。日本の植民地統治下で生まれ育った台湾人のお茶屋さんが、達者な日本語で最初に「きんせん」と呼んだのが定着したのかもしれません。

 「萱」の音読みには「かん」(呉音)と「けん」(漢音)があります。一概にはいえませんが、呉音は仏教関連用語に多く使われるので、ひとまず「かん」を除くと、漢音が残りますから、「金萱」は「きんけん」と読むのが妥当と考えられます。

 言葉は生き物です。辞書が絶対というわけではありません。

 いまさら「捏造」「漏洩」の正しい読みは「でつぞう」「ろうせつ」で、「ねつぞう」「ろうえい」は誤り(慣用読みとして認められています)といわれても困ってしまいます。「施行」「情緒」は正しい「しこう」「じょうしょ」も、誤り(慣用読み)の「せこう」「じょうちょ」も同じくらいの頻度で使われる気がします(国語辞典の見出しでは「しこう」「じょうちょ」が優先されています)。

 もっとも、「重複」はやはり「じゅうふく」ではなく、「ちょうふく」と読みたいと思います(パソコンではどちらで打ち込んでも表示されるものの、国語辞典の見出しでは「ちょうふく」が優先されています)。「ちょう」の音は「かさなる」の意、「じゅう」の音は「おもい」の意、と区別がありますから。現代の標準中国語でも、前者の意のときは「chong〈第2声〉」、後者の意のときは「zhong〈第4声〉」、と発音が異なります。

 さて、ここで再び「金萱」の話に戻ります。

 以上みてきた熟語は、正しい読みであれ慣用読みであれ、漢字ひとつずつには両方の読みともあります(例えば「重」には「ちょう」の読みも「じゅう」の読みもあります)。ひるがえって、「萱」には「けん」はあっても「せん」はありません。つまり、「きんせん」は慣用読みにすらなる資格のない、たんなる誤りでしかない、ということです。

 「病膏肓」の「やまいこうこう」を誤読した「やまいこうもう」もありますが、その場合「肓」を「盲」に変更して「病膏盲」とするため、読みに問題はありません(漢字の意味を考えると変ですが)。同様に「独擅場」の「どくせんじょう」を誤読した「どくだんじょう」も「擅」を「壇」に変更して「独壇場」としています。しかし、だからといって「金萱」(きんけん)を「金宣」(きんせん)に変更してしまうことはできません。「金萱」は「きんけん」なのです。

 いまなら間に合います。「土地」は「とち」なのに「地面」は「ぢめん」ではなく「じめん」と書き換えたり、「高嶺の花」を「高根の花」と書き換えたり——そんな間抜けな日本語と一緒にしないよう、「金萱」は「きんけん」と呼ぶことにしましょう。美しい日本語を残すためにも。

参考辞典(出版年順)

 国語辞典

  1.角川国語辞典(1978年)

  2.三省堂新明解国語辞典(1987年)

  3.講談社日本語大辞典(1989年)

  4.小学館現代国語例解辞典(1993年)

  5.角川必携国語辞典(1995年)

  6.新潮国語辞典 現代語・古語(1995年)

  7.小学館大辞泉(1998年)

  8.大修館明鏡国語辞典(2002年)

  9.ベネッセ表現読解国語辞典(2004年)

漢和辞典

  1.角川漢和中辞典(1979年)

  2.三省堂新明解漢和辞典(1982年)

  3.学研漢和大辞典(1992年)

  4.小学館現代漢語例解辞典(1993年)

  5.岩波新漢語辞典(1994年)

  6.三省堂五十音引き漢和辞典(2004年)

  7.三省堂全訳漢辞海(2006年)

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中國茶倶樂部「龜僊人窟」主人 池谷直人